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【湯浅麗歌子選手スペシャルインタビュー|前編】決断する覚悟。

【湯浅麗歌子選手スペシャルインタビュー|前編】決断する覚悟。
森 和哉
フィジカルデザイナー5年 前
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世界柔術選手権4連覇王者

湯浅麗歌子選手スペシャルインタビュー『覚悟。』

【前編】決断する覚悟。

今年6月、ロサンゼルスで行われた世界柔術選手権(ムンジアル)の頂点を極め、日本人初の4連覇を達成した湯浅麗歌子選手。「快挙」「偉業」「寝技世界最強女子」という称号を持つ彼女へのインタビューとなります。燦然と煌めくフレーズの向こうには何があるのか。インタビュー当日に至るまでのコミュニケーションは心地よく、当日が楽しい時間になると予感させてくれるものでした。そして実際にお会いした湯浅選手は、世界王者としてのオーラだけではなく、一人の人間、一人の女性として誰からも愛される人なのだとインタビューが進むにつれ思いを深めました。インタビューが苦手という彼女の貴重な話を、前・中・後編の3回に分けてお届けします。まずは前編です。

(取材協力/GRABAKAジム東中野 カメラ協力/森二朗 タイトルバック写真/ⒸIsao Amano)

 

柔術との出会い

--今日はよろしくお願いします。先日まで海外で柔術キャンプの講師を務められたとうかがっています。

はい、タイのプーケットに行ってきました。アメリカの柔術家の友人と開催したセミナーです。オーストラリアのメルボルンには柔術ジムが多く、そちらからも何名か参加されていましたね。

--こういった機会は多いのですか。

いえ、初めてです。オファーをいただく機会は多いのですがほとんど断っています。働く時間よりも自分自身の柔術の練習を優先したいんです(笑)それほど買いたいものはないし、寝る、食べる、練習する、教えるで、ほぼ一日が終わっちゃいますから。

--まさに柔術漬けの日々! それでは柔術を始めたきっかけを教えてください。

4歳から中学生まで水泳をやっていて、ジュニアオリンピックにも出ました。中学生の時は3年間、部活動で柔道もやりました。でも水泳で燃え尽きたというのか…あまり根を詰めませんでしたね。身体を動かすのが好きだったので格闘探偵団バトラーツでレスリングも同時にやっていました。

--バトラーツ。プロレスラー石川雄規選手率いる団体でした

自宅から近かったんです。そこの一般の部の情念クラブで(カール・)ゴッチ式レスリングをやっていました。なので始まりはレスリングとグラップリングです。一時、バンド活動などに走り辞めていた時期があったのですが、太ってしまったのを機にまた通い始めました。そしたら、はまっちゃったんですね。

編集部注:

  • 石川雄規…「燃える闘魂」アントニオ猪木に憧れ、「燃える情念」をニックネームに持つプロレスラー。アントニオ猪木の師カール・ゴッチに師事。
  • カール・ゴッチ…「プロレスの神様」と言われたプロレスラー。猪木が立ち上げた新日本プロレスの黎明期に協力。
  • グラップリング…総合格闘技から打撃を除いた競技。関節技の多くは認められる。「ギ」は柔術着着用、「ノーギ」は着用なしに分けられる。

--何か惹かれるものがあったのでしょうね。

元々柔道も寝技で勝っていたんです。技ありか有効からの抑え込みで勝つというのがパターンでした。寝技が好きだったんですねえ。その時期、PRIDE やHERO’S などの総合格闘技をよく観ていて、グレイシー一族には興味津々でした(笑)

バトラーツではグラップリング中心だったのですが、たまたまスポットで柔術セミナーがあったんですね。参加してみたら予想通り面白くて。バトラーツがなくなってしまったこともあり柔術クラスがあるPOGONA CLUB GYMに通うようになりました。既に柔術に通われている女性の会員さんが何名かいらしたこともあります。

--それまでやっていた柔道やレスリング、グラップリングとは違いましたか?

全然、違います。白帯の時は柔道の経験でなんとかなりましたが、青帯(白より一つ上)になると柔道が強い人には、投げて抑え込まれると何もできないんですね。じゃあ、下の体勢からなんとかできるようクロスガードや腕十字、三角締めを覚えるようになりました。

そしたら、今度はちょっと柔術をやっている柔道がベースの人に勝てなくなりました。立ってくるんでクロスガードに入れないんです。そうするとオープンガードで戦わざるを得ず、また別の技術が必要になりました。技術的な話になってしまうんですが、それまでは手ばかり使っていたわけで、足を使わなければいけないことに気付いたんです。今では私の最も得意な技のひとつ「巻きスパイダーガード」(下の体制から相手の腕に足を巻きつけて相手の身体をコントロールする)の解説書が出ていたんですね。その後、私の先生となる佐々幸範(ささ・ゆきのり。日本人初の世界柔術選手権優勝)選手が書いた『パラエストラ柔術/盾・矛』という本を読んで、これだったら頑丈そうだし自分を守れるかもと(笑)

--一つひとつ課題をクリアされていく姿はまさに探究者です。

その後、紫帯(青より一つ上)になり階級別、無差別級問わず、国内外とにかく試合に出まくりました。ただ、国内では勝てるんだけど海外では勝てないといった状況が続きました。メディアに「湯浅は海外で勝てない」と書かれ、悔しい思いもしました。

当時、国内には茶帯(紫より一つ上)の選手がぽつりぽつりいる程度で、黒帯(茶より一つ上。最上位)の選手はほとんどいなかったんです。ネット動画なども無い時代でしたから、海外で生観戦してきた人の情報を頼りに、皆でああでもない、こうでもないと手探りで技術を学ぶ状況でした。

師との出会い

コツコツと手探りで柔術に取り組みつつも、すでに彼女の眼は「世界」に向けられていました。現実と理想のギャップの中、焦燥に駆られる日々。どうしたら「世界」に手が届くのか。そこである決断に至ります。

--なかなか思うように結果が出ず、いらだちもあったのではないでしょうか。

どうしても世界チャンピオンになりたかったので、行動に移すしかない!と一念発起しました。仕事を辞め、家を出ました。貯めたお金が底をつく1~2 年、とにかく柔術に打ち込んでみようと。20 歳の時です。

--20歳にして退路を断つ。なぜそんな決断ができたのでしょう。

それまでは「楽しいから」という理由だけで柔術をやっていました。けれど、周りの皆が進学したり手に職を付けていく中で、このままでは「単に格闘技好きのニートになってしまう」という焦りがありました。水泳や柔道にしてもそうですが、何かを突き詰めることをこれまでしてこなかったのでは?と自分の甘さに気付いたんです。壁があるとすぐに辞めてしまう。海外で勝てない理由がそこにあるのだとしたら、甘さを戒めてくれる誰かが自分にとって必要でした。

--練習環境に変化はありましたか。

POGONA CLUB GYM に所属しながら、佐々先生の所属しているパラエストラ東京でも練習するようになりました。佐々先生が毎日、黙々とスパーリング、筋トレしている姿をみて「うわっ、ストイック!」と驚きましたね。中井祐樹先生も「佐々よりストイックな奴は見たことがない」と言うほどでした。佐々先生は現役選手なので誰かに教える気などさらさらなく(笑)なので私は先生の動きを盗むように「見て、覚えて、自分でやって」と1年間繰り返す日々でした。

編集部注:

  • 中井祐樹…現日本ブラジリアン柔術連盟会長。柔術、総合格闘技の選手として記憶に新しい。VALE TUDO JAPAN OPEN 1995でのジェラルド・ゴルドー、ヒクソン・グレイシー戦は伝説

--かつて参考にした本『パラエストラ柔術/盾・矛』を書いた選手が目の前にいたわけですね。

そうです。私は2013年、POGONA CLUB GYMから世界柔術選手権に出場したのですが、その時、佐々先生もパラエストラ東京から出場されてたんですね。当時、私は先生の練習方法を盗むように観ていたのでよく存じ上げていたのですが、先生は私のことを知りません。でも私の試合と同時刻、隣のマットで先生の知り合いが試合をしていたんですね。そこに居合わせた先生がたまたま私の試合を目に留めてくださり…後で知ったんですが、先生は普段自分の試合以外では会場に来ないらしく、試合を観てもらえたこと自体、奇跡なんだと(笑)そうしたら帰国後、声をかけられました。

湯浅選手の師匠、佐々幸範選手

--なんと?

「お前、あれじゃ勝てないよ」と。一本を取りにいくことしか考えていない。5試合、6試合(柔術の大会はトーナメント戦として日に数試合行われることが多い)続く中で、ゲームをまったく考えていないから途中で疲れて終わってしまう。ポイントでリードしているのになぜ一本を取りにいく必要があるの?と言われました。それまでは目の前の試合のことしか考えておらず、カッコよく一本勝ちしたかったんですね。なので決勝に近づくにつれ体力を消耗していました。

そのあと、先生から「どうなりたいの?」と聞かれました。「強くなりたい。世界チャンピオンになりたいです」と言ったら「それなら、オレが世界チャンピオンにしてあげるよ」と言われ…そこから師弟関係がスタートしました。

--先生は湯浅選手に何かを感じたんでしょうね。

先生自身、昔の自分を私にダブらせていたようです。一本だけをねらいにいく強引な戦い方です。

--昔の自分に似ている…なんだか、その出会いは必然のように思えます。そうして2014年、佐々先生からの指導を仰ぐためパラエストラ東京へと移籍されたわけですが練習はいかがでしたか。

練習は日本で一番やっています。当時も今も。とにかく練習漬けです。一日に3回、4回分けて練習しています。

編集部注:この内容の凄さは国内外の柔術選手やファンから驚きの声があがったそうです。

熱けいれんで失神したこともありますが、練習をやめようと思ったことはないですね。練習をしないと罪悪感に駆られるんです。それでも練習がつらくて家に引きこもってしまった時がありますが、佐々先生が呼びに来て「練習やるぞ~っ」と。

--えっ、ご自宅までですか?

はい、ドアをドンドンと叩いて「行くぞ~!」と(笑)

--先生不信に陥りませんでしたか?

それはなかったです。なぜなら国内に先生以外、メダルを取った人はいません。メダルを取るためには先生以外考えられませんでした。なので先生には本当に感謝しかありません。たとえ弱音を吐いたとしても、私の口調や表情一つで先生にはほぼ見透かされていますから(苦笑)

--たぶん明日は練習来ないだろう、とか?(笑)

はい。

--そしたら翌朝、自宅ドアをドンドンと叩く先生がいて「行くぞ~!」と(笑)

そうです(笑)ウソついてもばれちゃいますし。普段はなかなか褒めてくれない先生が、ある大会で勝った時に専門誌上で褒めてくれたんですね。「練習も試合も、やれることはまだまだあった。でも試合に勝ったから100点」と言ってくれて。それはすごくうれしかったですね。泣きました。

佐々幸範選手に師事していることから海外では“Lady Sasa”と呼ばれている

--さきほどご紹介いただいたサイトの練習内容に詰め将棋やルービックキューブ、知恵の輪があります。これは柔術と関連する…?

(うなずきながら)どれも柔術の試合で必要な要素が含まれています。三手四手と先を読んで、どのように相手に動いてもらうか。相手を動かすか。特に黒帯のトップ選手同士の試合になるとその駆け引きが重要でまさに心理戦です。下手に動くと命取りになるのでどうしても動けない。すると膠着状態が生まれます。お互い数手先まで読み合いなんですね。頭も身体もすごく疲れます。

この前編では柔術との出会いから、退路を断つといった大きな決断に至るまでのお話をうかがいました。師との出会いもけっして偶然ではありません。柔術にかける想い、そして世界王者になるといった情熱こそが生み出した必然のように感じました。

次回中編では、選手権制覇後、連覇に向け挑戦者から王者となり立場が変わったプレッシャーや減量への取り組み、そして大好きなお料理のことなどをうかがいます。

湯浅 麗歌子(ゆあさ りかこ)選手プロフィール

2015年から今年まで、日本人初となる世界柔術選手権(通称ムンジアル)黒帯部門4連覇並びに2階級(ルースター級、ライトフェザー級)制覇を成し遂げたブラジリアン柔術家。日本人初世界柔術選手権優勝者である佐々幸範の直弟子。日本、アジア、世界と獲得したタイトルは数知れず「寝技世界最強女子」の異名を持つ。さらなる高みを目指し2019年、5連覇に挑むと共に戦いの場をグラップリングにも広げ、今年12月9日テキサス州オースティンにて開催されるEBI 18 (Eddie Bravo Invitational)、女子-52㎏級(Female Strawweights / 115lb.)に参戦。料理の腕前はプロ級で趣味の域を超えつつある。好きなものは初音ミクとあんこ。

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森 和哉
フィジカルデザイナー
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国立大学法人熊本大学大学院教授システム学修士。効果・効率・魅力的な教え方を実践できる専門家(Instructional Designer)として、特定非営利活動法人日本イーラーニングコンソシアム認定eラーニング・プロフェッショナル資格(ラーニングデザイナー、コンサルタント)を持つ。また全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会(NESTA)認定Personal Fitness Trainer(PFT)、Revolution Training System Specialist(RTS)資格を持つ。 30年以上にわたりフィットネスだけでなくニュートリションを含めたあらゆる分野のトレーニングプログラム開発に携わる。活動の原点には、教わる人たちは一人ひとり学習への理解度は異なるといったB・S・ブルーム(Bloom)の学習理論mastery learning(完全個別学習)がある。この理論をフィジカルトレーニングのパーソナライズ化へと再構築し、パーソナルトレーニングの必要性を啓蒙している。 現在は各種プログラム開発と共に、パーソナルトレーナー石原サンチェス陽一率いる『Team SANCHEZ』に所属しフィジカルデザイナーとしてトレーナー活動に従事。またその傍らマラソン、ボクシング、ボディメイク大会に出場。フルマラソン走破を皮切りに、おやじファイトボクシングフェザー級出場(1戦1勝1KO)、2017ベストボディジャパンゴールドクラス東京オープン5位入賞、2018東京大会ファイナリストとなる。自らの実践を通じてフィットネスの素晴らしさ、ニュートリションの必要性を発信している。 Facebook: https://www.facebook.com/kazuya.mori.543
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