アンバサダー

よしもと芸人&フィジーカー にしだっくすスペシャルインタビュー|『オレ流、二刀流』【前編】

「にしだっくす」こと西田聖彦(にしだまさひこ)さんとの出会いは、さかのぼること5年前。当時、私が通っていたスポーツクラブにインストラクターとしてアルバイトしていたのが彼でした。「よしもとの芸人やってます!」と聞き、何回かライブにも足を運んだりしました。ちょうど、私自身がベストボディジャパン(BBJ)への出場を目指していた時期でもあり、彼もまた同様の目標を掲げていました。そんなこともあり、彼に対しては同志のような感情を抱きつつ別々の道を歩んで来ましたが、今や彼はフィジーク王者! さらには芸人としてコンビ解散からピン芸人への道を歩み始めた今年、なんとマイプロテインで再開することになりました。

マイプロアンバサダーも務める彼が今年挑んだのは「全国フィジークツアー」。5/19大阪を皮切りに130日間で日本全国16のフィジーク大会を巡るというハチャメチャな企画。果たしてその結果は? そしてその先に彼が見据えているものとは? 15戦を終了し、秋田での最終戦を残すのみとなった9月下旬、渋谷無限大ドーム(よしもと直営劇場)出演直後に話をうかがうことができました。

芸人とフィジーカーのはざまで

–お疲れ様、そして、久しぶり! 舞台面白かった! それにしても、まさかにしだっくすをインタビューすることになるとは、だね。

お久しぶりです。観に来ていただき、ありがとうございます。インタビューはホント、そうですね。ビックリしました。

–ピンになっての舞台は初めて観たんだけど、どんどん着ているものが薄くなってるね。

はい、以前はコンビでスーツ着てましたが、だんだん素に近づいたというか。今やタンクトップとジョギパンです! タンクトップもネタ入ってすぐに脱いじゃうんで、もはや必要ないんですが(笑)

–たしかに。脱いでた(笑)今日はにしだっくすを多くの方に知ってもらうため、現在の活動や今後のことなど聞かせてください。まずは芸人を目指したきっかけから。

高校まで熊本で過ごし卒業後、福岡のスポーツ専門学校に通いました。身体を動かすこと、みんなを笑わせるのが好きでした。今と変わらないです。裏方に回るよりも自分が目立ちたい!って感じでしたね。専門学校にはトレーニング施設があり、ほぼ毎日利用してました。

卒業後に上京してよしもとの養成所(NSC東京)に入りました。1年後に卒業して、よしもと所属の芸人になりました。入学はボクの同期、東京だけで700名いたかな~。

スーツ姿時代のにしだっくす

–そんなにいるんですね?

ただ、卒業できるのはそのうちの半分程度なんです。自ら辞めていく人がほとんどで、面白いことに自信がある人間が集まる場なので、自信を失くしちゃう人もいるみたいです。

–卒業できるというのはそれだけでタフなことですね。にしだっくすは自信を失くさなかった?

ボクはなんとか大丈夫でした。好きなバイト(スポーツクラブでのインストラクター)ができてたからかな(笑)

–にしだっくすとの出会いはその頃だね。

NSC卒業後は何をしてよいのかわからなくって…会社が仕事をふってくれるわけではないので。とにかく無我夢中で先輩について行って、キャラを作ったりして、もがいてました。そのうちにコンビ(童心ヒーロー)を組んだんですが、5年くらいたった時ですかね。結果が出ないことにいら立ちを感じ始めて…

–自分の責任は棚に上げて(笑)

はい(笑)なんとしてでも風穴を開けたくて、それなら好きだった筋トレをきわめてBBJに出場しようと。これなら一人でできるんです。自己責任。このあたりからですかね、あらためてフィットネスに向き合い始めたのは。

–そして2015年初出場。いかがでしたか?

恥ずかしいことにそもそも「競技」という認識がなく、野球やらサッカーやら何かの競技をやってる人間が集まる、身体自慢大会くらいにしか考えていませんでした。筋トレも脚は筋肉つけなくていいと思ってましたし、腕や肩といったパーツも部位別に鍛えるといった考えがありませんでした。減量も単に炭水化物を摂らないといったことだけでしたから。ホント何も知りませんでした。

–ボクも2014年に出場したんだけど、確かに「競技」という認識はなかったなあ。ところで、コンビ芸人としての活動とBBJ出場などの一人での活動はどのように切り分けてたの?

すべてはお笑いのため、というスタンスは変わっていないんですね。よく「本業はどっち?」と聞かれるのですが、フィジーク競技で結果を出してる選手だって、他に仕事を持ってるわけじゃないですか。その意味では、お笑い芸人が仕事としてフィジーク選手をやっているということで、なんら他の選手と変わらないし、本業が何かと決める必要もないと思っています。

–メジャーリーガー大谷クンばりの二刀流だね。ところで今年春にはコンビを解散しました。ピン芸人になった今、心境の変化はありますか?

芸人になって今年が10年目、一区切りです。コンビを組んでからは8年でした。残念ながらコンビでは結果を残せませんでした。ならば一人で、自分の責任でやり遂げてみたい、勝負したいと思うようになり、苦渋の決断の末、解散しました。

8年やったコンビネタなどを全部なくしてリセットすることに不安を感じましたし、舞台に立つ直前、楽屋裏で相談できる相方がいないことにはいまだに慣れませんね。舞台に立ってしまえばなんてことないのですが。

–8年はそれなりに長いよね。

はい。それでもバイト生活を辞めて、目指しているお笑いとフィットネスに関わり続けたいと考えたんです。そのためには一人になる必要がありました。結果はすべて自己責任。自分でどんどん動かなきゃならない。思い出作りをやっているわけではないですから。

インタビュー直前の舞台は、多数の若手芸人が出演するものでした。エンディングでは全員が舞台に並ぶのですが、にしだっくすは一人前に出て、司会の先輩芸人と積極的に絡んでいました。数年前、コンビで出演していたときに、舞台で後ずさりしていたにしだっくすはもういませんでした。

4か月強で16戦。全国フィジークツアー2019!

–さて本題のフィジークツアー。130日間で日本全国16大会に出場するといった過酷な企画も15戦を終え、残すところあとひとつ(秋田大会)。それにしてもなぜ、こんなチャレンジを…

きっかけは、JBBFフィットネス委員の齋藤真人さんです。昨年の東京でのオールジャパンでご挨拶させてもらった時に「いろんな大会に出てみたらいいんじゃないかな?」と言われたのを、真に受けまして(笑)ボクの仕事ならばやれなくはないな、と。なので昨年から決めてました。

–まさか齋藤さんもツアーを組むまでとは想像してなかったでしょうね(笑)

2年前には「無一文全国ゴールドジムヒッチハイクツアー」をやりました。マッチョ二人でヒッチハイクしながら、日本国内の全ゴールドジムを巡るツアーです。誰もやっていないことをやってみたい。それが芸人にしっだくすの行動の原点なんです。

–言ってみればツアー第2弾! 「無一文全国ゴールドジムヒッチハイクツアー」はそれはそれで、また別の機会にうかがうとして…

フィジークツアーでは、3月初旬から減量を始めました。初戦の5/19大阪キングオブフィジークは8位。万全だった割には振るわずでした。次戦6/30兵庫オープンは6位。ここからはほぼ毎週出場といった感じで、連日もありました。個人的には7/7横浜オープン(準優勝)が最高の仕上がりでした。

–8→6→2位と順位を上げてきて、ついに第4戦となる三重県メンズフィジークで初優勝!

正直、全然手応えはなかったんです。自分としては前の週の横浜のほうが全然いい感じだったので…

にしだっくす 7/13 JBBF三重県メンズフィジークにて初優勝

7/13 JBBF三重県メンズフィジークにて初優勝

–とはいえ、それはそれで相対評価の競技。素晴らしい結果です。

出だしの大会こそ、きっちり仕上げて勢いで臨めましたが、三重あたりからのひと月は絞れませんでした。連戦の疲れも出始め、対処方法を模索していた頃ですね。出場し続けることと結果を残すことの両立にもがいていた時期です。なので、自信はなかったですね。控室でも「3位までに入れるかなぁ」といった感じでしたから。体調も思わしくなく、口内炎がずーっとできちゃって、多いときは3か所もありました。今もあるんですけど。

–体調管理は難しいよね。ボクもいちおう競技経験者としてわかるんだけど、毎週出場ってちょっと普通じゃないから…

徐々に体調を崩してしまい、首と肩に痛みが出て、重さを扱えなくなってしまいました。それでもフィジークは肩が重要なパーツなので、無理をしてしまったんですね。そうしたら背中や右腕にも張りと痛みを感じるようになってしまい…サイドレイズ(肩のトレーニング)はそれほど重くないダンベルで丁寧にやっているつもりが、それでも右腕はきつくなってしまい、ついには日常生活にも支障をきたすようになってしまいました。腕が上がらなくなりました。8/31大阪オールジャパン出場後は最悪で、寝ていても痛くて痛くて。後の大会、どうしようかと不安でした。

–疲労の蓄積だね。

大会に出まくっていると、実際のところ大会前日や当日はトレーニングしないので、トレーニングできる日が限らてしまいますよね。できるだけ休みたくなかったので、無理をしてしまいました。おまけに水抜きや減量を続けてましたから、身体へのダメージは大きかったんだと思います。

–それでも先日の9/14宮城県メンズフィジークでは、ツアー三度目の優勝を飾りました。

8月下旬からは本当に身体が動かなくて…トレーニングできないことへの焦りと、身体がしぼんでいくんではないかという恐怖感との戦いでした。トレーニングできない分、食事量を抑えて臨んだ宮城でしたが、体重はベストの63kg。腹筋はこのツアーで一番よい仕上がりに持っていけたような気がします。

–連戦続きの終盤に最高の仕上がりとはスゴイ!

宮城は予選から優勝を狙ってました。それまでの大会では自分の評価と大会での成績が一致しないことが多かったのですが、この大会では見事に一致させることができました。これを経験できたのは、このツアーの大きな成果のひとつです。

それと、身体がきつくなっていった時に、ちょっと考え方を変えてみたんです。自分を受け入れて褒めてあげよう、と。頑張ってるじゃん、オレ!といった感じで(笑)以前はトレーニングでも「もっと、もっと」と、できない自分を追い込んでたんですが。こんな考え方って、連戦続きのツアーで体調を崩さなければしなかったと思うんですね。なので、これはツアーで得た収穫、副産物なのかもしれません。肩は相変わらず痛かったですけど。

にしだっくす 9/14 JBBF宮城県メンズフィジークで3度目の優勝

9/14 JBBF宮城県メンズフィジークで3度目の優勝

–残すはあと1大会。9/28秋田での東北北海道オープンメンズフィジークのみ。意気込みを聞かせてください。

はい。この宮城の経験があるからこそ、これを超える仕上がりで臨みたいです。もちろん大会は戦いではあるのですが、自分と向き合ってそれを超えていきたいと今は素直に感じています。それさえできれば悔いはないし、しかるべき結果につながると信じています。

ということで、ツアーファイナルの結果はこちら!

果たして、にしだっくすは有終の美を飾れたのか!?

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〇にしだっくすさんプロフィール

本名、西田聖彦(にしだまさひこ)。熊本県 宇城市出身、31歳。吉本興業所属の唯一無二のフィットネスコメディアン。
渋谷(無限大ホール、無限大ドーム)、新宿を拠点として、日々お笑いライブに出演する一方、トレーニングにも余念がなく、全国各地のフィジーク大会を転戦する二刀流フィジーカー。
全国ににしだっくすポーズで笑顔を届けたいと語るマチョカワイイ好漢男子のステージに刮目せよ!

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森 和哉

森 和哉

フィジカルデザイナー

国立大学法人熊本大学大学院教授システム学修士。効果・効率・魅力的な教え方を実践できる専門家(Instructional Designer)として、特定非営利活動法人日本イーラーニングコンソシアム認定eラーニング・プロフェッショナル資格(ラーニングデザイナー、コンサルタント)を持つ。また全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会(NESTA)認定Personal Fitness Trainer(PFT)、Revolution Training System Specialist(RTS)資格を持つ。 30年以上にわたりフィットネスだけでなくニュートリションを含めたあらゆる分野のトレーニングプログラム開発に携わる。活動の原点には、教わる人たちは一人ひとり学習への理解度は異なるといったB・S・ブルーム(Bloom)の学習理論mastery learning(完全個別学習)がある。この理論をフィジカルトレーニングのパーソナライズ化へと再構築し、パーソナルトレーニングの必要性を啓蒙している。 現在は各種プログラム開発と共に、パーソナルトレーナー石原サンチェス陽一率いる『Team SANCHEZ』に所属しフィジカルデザイナーとしてトレーナー活動に従事。またその傍らマラソン、ボクシング、ボディメイク大会に出場。フルマラソン走破を皮切りに、おやじファイトボクシングフェザー級出場(1戦1勝1KO)、2017ベストボディジャパンゴールドクラス東京オープン5位入賞、2018東京大会ファイナリストとなる。自らの実践を通じてフィットネスの素晴らしさ、ニュートリションの必要性を発信している。 Facebook: https://www.facebook.com/kazuya.mori.543